湯築城(愛媛県)

別名 :湯月城

城郭構造 :梯郭式平山城

天守構造 :なし

築城主 :河野氏

築城年 :建武2年(1335年)頃

主な城主 :河野氏、小早川氏、福島氏

廃城年 :天正15年(1587年)

遺構 :土塁、水堀、郭

 建武2年(1335年)前後、伊予国の守護であった河野通盛の代に築城され、一族本貫の地である風早郡河野郷(現松山市河野)より移住した。 天文4年(1535年)頃、通直(弾正少弼通直)によって外堀が造られたとされる。

 天正13年(1585年)、四国征伐をめざす羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して金子城主の金子元宅を攻撃の末滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。 天正15年(1587年)、福島正則が城主となるが、程なく国分山城に居城を移したため、廃城となった。

 Wikipedia

湯築城訪問記

2019年4月21日

サザンオールスターズコンサート当日

大洲城跡→おはなはん通り・臥龍山荘→湯築城跡→松山城跡

 

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●湯築城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます)

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 ●地理院地図 活断層図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図