上野国 高崎藩

高崎藩について

高崎藩:譜代 8.2万石 Wikipedia

藩主家の変遷:小田原征伐の後、徳川家康の関東入封に伴って井伊直政が上野箕輪に配置され、和田の地を城地に選んで高崎と名付け、高崎藩が成立した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、直政が近江国佐和山城に移封となった後は、諏訪氏酒井氏戸田氏松平(藤井)氏安藤氏松平(大河内)氏間部氏と藩主家が目まぐるしく入れ替わった。享保2年(1717年)、松平家(大河内)が村上から高崎藩に再封し幕末維新まで続いた。

 

居城:群馬県高崎市 高崎城(和田城) Wikipedia

城郭構造:輪郭梯郭複合式平城

天守構造 :御三階櫓 (独立式層塔型3重3階、非現存)

築城主 :井伊直政

築城年 :1597年

主な改修者 :安藤重信

主な城主 :井伊氏、諏訪氏、松平氏、安藤氏

廃城年 :1871年

遺構 :乾櫓・東門(移築)、土塁、水堀

指定文化財 :群馬県重要文化財(乾櫓)

 

幕末藩主:大河内輝聲(てるな 当時19歳)

戊辰戦争への対応:1864年に水戸天狗党と下仁田で戦い惨敗したり、1868年には幕臣・小栗上野介の処刑を命じられたり、高崎藩は次々と難題に見舞われた。新政府軍に恭順して小栗処刑後は北越や会津にも出兵した。

高崎藩訪問記

2017年10月11日訪問

出張ついでに、この城跡だけを目的に上越新幹線高崎駅で降りた。
堀に沿って徒歩でまわったら結構距離があった。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●高崎城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

高崎城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

地理院地図 治水地形分類図更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治後期の地図。高崎城跡はほぼ陸軍が利用している

高崎駅の東側は水田の状態でまだ市街化されていない。

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