武蔵国 川越藩

川越藩について

川越藩:譜代 8.4万石 Wikipedia

藩主家の変遷:川越は武蔵国の中央に位置し、古来から軍事上の要所であったため、上杉持朝の命で家宰の太田道真・太田道灌父子によって城が築かれると、上杉氏後北条氏の武蔵国支配の最重要拠点であり続けた。

江戸時代になると大老・老中など幕政の重職についた有力譜代大名や、親藩の越前松平家などが入封した。幕府の老中職に就いた大名の数では徳川諸藩中、佐倉藩に次いで最多である。城下町の川越は江戸と新河岸川の舟運や川越街道で結ばれ、江戸の北の守りとして発展、「小江戸」と称される程であった。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条征伐で前田利家の率いる北国勢によって川越城は開城し、後北条氏(城代は大道寺氏)の時代が終焉した。徳川家康が関東に移封されたのに伴い、三河譜代最古参で雅楽頭酒井家の祖・酒井重忠が1万石をもって川越に封ぜられ、川越藩が立藩した(親藩格)。

その後、酒井(雅楽頭分家)家(1609年 - 1633年)→堀田家(1635年 - 1638年)→松平(大河内)家(1639年 - 1694年)→柳沢家(1694年 - 1704年)→秋元家(1704年 - 1767年)→松平(越前)家(1767年 - 1867年)→慶応2年(1866年)、松平(松井)家松平康英が棚倉藩から川越藩に入封して幕末維新まで続いた。

 

居城:埼玉県川越市 川越城(別名、初雁城、霧隠城) Wikipedia

城郭構造:平山城

天守構造 :なし

築城主 :太田道真、道灌父子

築城年 :1457年(長禄元年)

主な改修者 :大道寺政繁、松平信綱、松平斉典

主な城主 :扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、 堀田氏、越前松平氏、他

廃城年 :1869年(明治2年)頃

遺構 :堀・土塁・御殿の一部・移築物3棟

指定文化財 :埼玉県有形文化財(本丸御殿) 埼玉県史跡

 

開戦時藩主松平康英(やすひで 当時37歳) ←幕末の江戸幕府老中

戊辰戦争への対応:康英は慶応4年(1868年)、新政府に帰順することで藩論をまとめ、老中を辞すると上洛するが、新政府に近江国の飛地領2万石を没収され、謹慎処分とされた。それでも川越城の堀を埋め、官軍にひたすら恭順することで、川越の戦火を回避することに成功した。

川越藩訪問記

2016年1月11日訪問

川越城本丸御殿(100名城スタンプ)→川越氷川神社→蔵づくりの町並み

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●川越城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

川越城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

川越の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

 ●地理院地図 治水地形分類図 更新版

 

●地理院地図 治水地形分類図 初版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治43年発行の地図。まだ東武線もJR川越線も開通していない。

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