丹後国 田辺藩

戊辰戦争時の田辺藩について

田辺藩:譜代 1.9万石 Wikipedia

※明治維新後、紀伊田辺藩との同一藩名を解消するため舞鶴藩に改称した。

居城:京都府舞鶴市 田辺城 Wikipedia

城郭構造:輪郭式平城

開戦時藩主:牧野誠成(たかしげ 当時35歳)

藩主家の変遷:丹後国は元々一色氏が守護を務める国であったが、天正7年(1579年)、細川藤孝が明智光秀とともに反信長連合の一角だった一色氏らを滅ぼし、丹後国・丹波国を制圧する功績を挙げた。藤孝は恩賞として丹後一国を与えられ田辺城を築き、舞鶴を拠点に丹後一国を治めた。

関ヶ原の戦い後、細川氏は豊前国中津藩へ転封され、代わって信濃国飯田より、京極高知が田辺城に入城した。

寛文8年(1668年)に京極家は但馬国豊岡藩に転封となり、牧野親成が摂津国より3万5000石で入城する。 以後、幕末まで牧野家歴代が同藩で封を重ね、明治維新を迎えた。

戊辰戦争への対応:戊辰戦争後は早くから新政府に恭順した。

 

田辺藩訪問記

2018年11月24日訪問

大阪マラソン前日

田辺城→宮津城→丹後国分寺跡→丹後国一の宮籠神社

 

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●田辺城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

田辺城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地氾濫平野」

国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図