丹波国 園部藩

戊辰戦争時の園部藩について

園部藩:外様 2.6万石 Wikipedia

居城:京都府南丹市 園部城 Wikipedia

※園部城は日本城郭史で最後の建築物。慶応4年(1868年)1月明治政府に改築を願い出たところ「帝都御守衛」の為として認められた。1月28日頃から普請が始まり、明治2年(1869年)8月28日上棟式が挙行された。櫓門が3ヵ所、巽櫓や小麦山の三層櫓などの櫓が5ヵ所、堀も造成して園部陣屋は園部城に生まれ変わった。

城郭構造:平山城

開戦時藩主:小出英尚(ふさなお 当時18歳)

藩主家の変遷:元和5年(1619年)12月、但馬国出石藩主であった小出吉親が新たに入部してきたことにより立藩した。以後10代に渡って幕末維新まで続いた。

戊辰戦争への対応:幕末期には早くから御所の警備を行なうなどして官軍側に帰順した。

 

亀山藩訪問記

2018年11月23日訪問

大阪マラソン前々日。

二条城→亀山城→丹波国分寺跡→出雲大神宮→園部城→福知山城

※園部城跡は、現在、京都府立園部高校の敷地となっている。門と櫓は現在も高校の門として使用されている。

 

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●亀山城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

亀山城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地平坦地」

地理院地図 都市圏活断層図+色別標高図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図