讃岐国 丸亀藩

丸亀藩について

丸亀藩:外様 5.1万石 Wikipedia

藩主家の変遷:慶長2年(1597年)、 豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。慶長7年(1602年)、6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。

寛永17年(1640年)、生駒氏がお家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現秋田県由利本荘市)に転封となる。 寛永18年(1641年)、山崎家治が肥後国富岡(現熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。 

万治元年(1658年)、 山崎氏が3代で無嗣断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。 延宝元年(1673年)、 32年の歳月を要し丸亀城の大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。

 

居城:香川県丸亀市 丸亀城(蓬莱城) Wikipedia

天守構造: 御三階櫓(複合式層塔型3重3階)(1660年築) (独立式層塔型3重3階)(1877年改)

築城主: 奈良元安

築城年: 室町時代初期(14世紀頃)

主な改修者: 生駒親正、山崎家治

主な城主: 生駒氏、山崎氏、京極氏

廃城年: 1871年

遺構: 現存天守・門・長屋・番所 石垣、堀

指定文化財: 重要文化財 (天守・大手一の門・大手二の門) 国の史跡

 

幕末藩主:京極 朗徹(あきゆき 当時39歳)

戊辰戦争への対応:朗徹は幕末の動乱の中では尊王派として行動し、御所警備のためにたびたび出兵した。慶応4年(明治元年、1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは、丸亀の隣藩の高松藩が朝敵に指名されると、新政府の命令で土佐藩と共に高松藩の追討にあたったが、高松藩主松平頼聰(よりとし)から新政府に対して赦免を嘆願してもらうように仲介を依頼され、新政府に取り次いで頼聰を赦免させている。

訪問記

2019年7月27日

27日、28日と、香川県史跡巡りの旅。

この日は、満濃池→金刀比羅宮→丸亀城跡→讃岐国分寺跡

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●丸亀城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます)

丸亀城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「孤立丘陵」

●地理院地図 ベクトルタイル提供実験 地形分類図

 

●地理院地図 治水地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図