信濃国 高遠藩

高遠藩について

高遠藩:譜代 3.3万石 Wikipedia

藩主家の変遷:高遠の地は戦国時代、諏訪氏の一族であった高遠頼継が治めていた。頼継が武田信玄(晴信)との戦いで没落した後、高遠は武田氏の支配下に入る。その後武田氏の滅亡、天正壬午の乱を経て、保科氏毛利氏京極氏が入った。

関ヶ原の戦い後、高遠には保科正直の子正光が2万5000石で入部したことにより高遠藩が成立した。2代藩主は第2代将軍・徳川秀忠の隠し子だった保科正之。正之は寛永13年(1636年)7月に出羽山形藩20万石に加増移封された。

保科家→鳥居家(1636年 - 1689年)→天領(1689年 - 1691年)→

元禄4年(1691年)、河内富田林藩より内藤清枚が3万3000石で入り幕末維新まで内藤家の支配が続いた。

高遠藩では、正徳4年(1714年)3月の江島生島事件に関わり高遠に流罪にされた絵島の身柄を預かっている。

 

居城:長野県伊那市 高遠城(兜山城) Wikipedia

城郭構造:平山城

天守構造 :なし

築城主 :不明

築城年 :不明

主な改修者 :武田信玄

主な城主 :高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、 鳥居氏、内藤氏

廃城年 :1872年(明治5年)

遺構 :石垣、土塁、空堀、門

指定文化財 :国の史跡

 

幕末藩主:内藤頼直(よりなお 当時27歳)

戊辰戦争への対応:長州征伐に参加して活躍するも、戊辰戦争では新政府軍に与し、北越戦争・会津戦争に参戦した。賞典録は特になし。

 

高遠藩訪問記

2018年9月29日訪問

松本マラソン(結局台風で中止)の前日に、

諏訪大社上社前宮→本宮→高島城跡→諏訪大社下社秋宮→春宮→高遠城跡

※歴史博物館と絵島囲み屋敷を見にいったら何と施設整備とかで休館だった。。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●高遠城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

高遠城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

 

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 地形図+色別標高図