信濃国 田野口藩

戊辰戦争時の田野口藩について

田野口藩:譜代 1万6000石 Wikipedia(奥殿藩)

居城:長野県佐久市 龍岡城 Wikipedia

城郭構造: 稜堡式

開戦時藩主:松平(大給)乗謨(のりかた 当時28歳)

藩主家の変遷:文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨が、江戸幕府の許可を得て、分領である信濃国佐久郡へ藩庁移転した。

戊辰戦争への対応:松平乗謨は、幕府の老中格陸軍総裁をつとめたほどの人物であったから、佐幕の立場をとっていたが、3月には上洛して新政府に帰順する意思を表明した。しかし新政府では乗謨が幕府の中心人物の一人であったことから謹慎を命じた(5月13日まで)。4月には藩兵たちが新政府の命令に応じる形で北越戦争に出兵した。戦争後の賞典禄5000両

 

田野口藩訪問記

2017年4月15日訪問

長野マラソン参加の前日に訪問。

日本に二つしかない五稜郭。地図を見てその形がすごく気になっていたところ。

大手門跡 この奥は佐久市立田口小学校
大手門跡 この奥は佐久市立田口小学校

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

龍岡城はぐるり歩けると聞いたので1周散歩。堀の形とそれに伴った鋭角の石垣は他にはないもので興味深い。

車で5分ほどのところに由緒ある新開三社神社がある。境内には1515年建立とされる三重塔が残っており、明治維新の廃仏毀釈の際には、倉庫だとして破却をまぬがれたとのこと。

 

●龍岡城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

龍岡城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地氾濫平野」

 

国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は大正初期の地図。この地図には城跡とかの記載はない。

廃藩後に建物は解体された。堀も埋められたが昭和の初期に住民によって復元されたという。

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