信濃国 松代藩

松代藩について

松代藩:外様 10万石 Wikipedia

藩主家の変遷:松代藩は、長野市の松代城を居城とし川中島四郡を領した藩である。川中島四郡は戦国時代の川中島の戦いで武田氏と上杉氏の係争地となったところであり、現在の北信地方に該当する。

近世大名領の成立は関ヶ原の戦い後に森忠政が13万7千石で川中島に入封したことに始まる。忠政は1603年(慶長8年)津山藩に加増転封となり、その後徳川家康の六男松平忠輝が越後国高田藩へ移る1610年(慶長15年)までの7年間、14万石を領有し、高田へ加増転封となった後も新領土に旧領が含まれており、1616年(元和2年)改易されるまでの間領知した。この2家の領有期間は、一般に川中島藩と呼ばれる。

1616年(元和2年)に松平忠昌が12万石にて松代城に入封して以降この地は松代(松城)藩領と呼ばれる。

その後酒井家を経て、1622年(元和8年)に信濃国上田藩より真田信之が13万石で入封。明暦4年(1658年)に3代幸道の相続時に分地の沼田領3万石が独立( - 1680年改易)し、以後10万石として幕末維新までこの地は真田家の所領として続いた。

 

居城:長野県長野市 松代城(海津城、貝津城、長野城) Wikipedia

城郭構造:輪郭式平城

天守構造 :不明

築城主 :武田信玄

築城年 :1560年(永禄3年)

主な改修者 :田丸直昌、森忠政

主な城主 :武田氏、田丸氏、森氏、真田氏

廃城年 :1873年(明治6年)

遺構 :石垣、土塁、堀

指定文化財 :国の史跡

再建造物 :太鼓門、堀、石垣、土塁など

 

幕末藩主:真田幸民(ゆきもと 当時17歳)

戊辰戦争への対応:松代藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、朝廷から信濃全藩の触れ頭役を命じられた。戊辰戦争には新政府軍に参加して多大な軍功を挙げた。賞典禄3万石。

 

松代藩訪問記

2016年7月2日

旧真田邸で100名城スタンプを押して、すぐ近くの松代大本営象山地下壕へ。ここすごい・・

 ※フォトギャラリーに写真追加。

2015年7月4日訪問

森将軍塚古墳を観てから松代城址、川中島古戦場と巡った。

松代藩は江戸時代まで信濃国の中心的なところだったが、廃藩置県で長野(善光寺の門前町)にその座を奪われた。

2015年7月4日撮影 本丸跡
2015年7月4日撮影 本丸跡

 

●フォトギャラリー 2016.07.02  ※クリックで拡大

・旧真田邸 ※100名城スタンプはここでもらえる

・松代大本営

 

●フォトギャラリー  2015.07.04 ※クリックで拡大

・松代城址

・川中島古戦場 八幡社

 

●松代城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

松代城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地氾濫平野」

松代の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPはかなり詳しい まちあるきの考古学

 

地理院地図 治水地形分類図 更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

千曲川は新潟県境を超えると「信濃川」に名称を変える。

恥ずかしながら数年前まで知らなかった。別な川だと思ってた・・