信濃国 岩村田藩

戊辰戦争時の岩村田藩について

岩村田藩:譜代 1万5000石 Wikipedia

居城:長野県佐久市 岩村田城(上の城・藤ヶ城とも) Wikipedia(岩村田陣屋)

城郭構造

開戦時藩主:内藤正誠(まさのぶ 当時22歳)

藩主家の変遷:岩村田藩は、元禄16年(1703年)8月、内藤正友が武蔵国赤沼藩から転じて佐久郡のうち27ヶ村で1万6000石を与えられたことに始まる。7代内藤正縄(まさつな)は水野忠邦の実弟で、大番頭や伏見奉行を歴任して城主格となり、それまでの陣屋を廃してこの地に築城を計画した。8代正誠の時に許可がおり築城開始したが、まもなく明治を迎え廃城となった。

戊辰戦争への対応:正誠は長く江戸に留まり、恭順という立場をはっきりしなかったことを理由に明治新政府から謹慎を命じられた。そのため、今後は新政府軍に協力し藩兵を出すことを願い出て、北越戦争などに出兵した。戦後の賞典禄2000両

 

岩村田藩訪問記

2017年4月15日訪問

長野マラソン参加の前日に、龍岡城に続いて訪問。

こちらは、城址碑と土塁と思われるものの他に遺構は見当たらない。

 

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岩村田城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

 

国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は大正初期の地図。

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