加賀国 加賀(金沢)藩

加賀藩について

加賀藩:外様 102.2万石 Wikipedia

藩主家の変遷:織田信長によって能登1国を与えられていた藩祖前田利家が、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの後に豊臣秀吉に降って加賀2郡、さらに天正13年(1585年)には佐々成政と戦った功績によって嫡子利長に越中西三郡が与えられて、3国にまたがり100万石を領する前田家領の原形が形成された。

藩主の前田氏は外様大名ではあるが徳川将軍家との姻戚関係が強く、準親藩として松平姓と葵紋が下賜された。3代・光高以降の藩主は将軍の偏諱を拝領した。また、大名中最大の102万5千石を領し、極官も従三位参議と他の大名よりも高く、また伺候席も徳川御三家や越前松平家などの御家門が詰める大廊下である(他の外様の国持大名は大広間)など御三家に準ずる待遇であった。

 

居城:石川県金沢市 金沢城(尾山城、尾上城、金城) Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造 :不明(1592年築) 御三階櫓(望楼型3重4階 1603年築)非現存

築城主 :佐久間盛政

築城年 :天正8年(1580年)

主な改修者 :前田利家・利長

主な城主 :佐久間氏、前田氏

廃城年 :明治4年(1871年)

遺構 :長屋・門、石垣、土塁、堀、移築能舞台

指定文化財 :国の重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫)、史跡

再建造物 :菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋

 

幕末藩主:前田慶寧(当時37歳)

戊辰戦争への対応:鳥羽伏見の戦いが始まると、1月5日、いったんは旧幕府軍に加勢するため出陣を命ずるが、旧幕府軍の敗走を知り、出兵をとりやめて新政府軍に忠誠を誓った。以後は北越、会津戦に参加。出征兵数は7793名を数え、新政府軍随一の人数。賞典禄15000石。

加賀藩訪問記

2017年3月31日

出張ついでに金沢城をたっぷり見学。100名城スタンプをゲット!

平成27年開園の玉泉院丸庭園は良かった。

2016年10月23日

金沢マラソン参加。完走メダルゲット!

2016年3月6日

和倉温泉から金沢市内観光へ

2013年6月26日

出張ついでに尾山神社へ

2013年1月19日

出張ついでに冬の兼六園へ

2011年5月22日

金沢城リレーマラソンに参加

2017年3月31日撮影 戌亥櫓跡から五十間長屋・石川門方向を見下ろす
2017年3月31日撮影 戌亥櫓跡から五十間長屋・石川門方向を見下ろす
2017年3月31日撮影 玉泉院丸庭園
2017年3月31日撮影 玉泉院丸庭園

 

●フォトギャラリー  2017.3.31 ※クリックで拡大

城跡の隅々まで歩いて撮影。寒い日だった。桜が咲く時期に来たいものだ。

 

●フォトギャラリー  2016.10.23 ※クリックで拡大

第2回金沢マラソン 金沢城の近くからスタート

 

●フォトギャラリー  2016.03.06 ※クリックで拡大

主計町からひがし茶屋街、兼六園、金沢城を通って近江町市場へ

 

●フォトギャラリー  2013.06.26 ※クリックで拡大

金沢城の西の麓 尾山神社

 

●フォトギャラリー  2013.01.19 ※クリックで拡大

冬の兼六園

 

●フォトギャラリー  2011.05.22 ※クリックで拡大

金沢城リレーマラソン&北陸の定番グルメ・8番ラーメン

 

●金沢城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得

金沢城周辺の地形を調べてみる

金沢城は金沢平野の東に位置し、平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端にある。

お城地形区分は「台地先端」

金沢の歴史、地理、街並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

 

●地理院地図 土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●国土調査 地形分類図

日本海に沿って分布する砂丘の背後は、氾濫水が行く手をさえぎられて滞った低湿地だったか。

 

●地理院地図 都市圏活断層図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

 

G-Banz 標高グラフ