陸奥国 白河藩

白河藩について

白河藩:幕末時は天領

    慶応2年(1866年)、阿部家(譜代)が棚倉藩に転封時は10万石 Wikipedia

藩主家の変遷:白河の地は、古代においては白河の関が設けられ、奥羽地方への出入り口として要衝の地となっていた。江戸時代になっても白河藩の締める地位は奥羽地方の外様大名の抑えであり、初代の丹羽氏を除いては有力な親藩・譜代大名が頻繁に入れ替わった。三方領知替えが3度も行われた藩でもある。

江戸時代初頭の寛永4年(1627年)、陸奥国棚倉藩より丹羽長重が10万石余で入り、白河藩が成立する。その後は、榊原家(1643年 - 1649年)→本多家(1649年 - 1681年)→松平(奥平)家 (1681年 - 1692年)→松平(越前)家(1692年 - 1741年)→松平(久松)家 (1741年 - 1823年)。

文政6年(1823年)、久松松平家は旧領の伊勢国桑名藩に転封となり、替わって武蔵国忍藩より阿部正権が10万石で入部する。以後は幕末まで阿部家が8代44年間在封した。

 

居城:福島県白河市 白河小峰城(白河城、小峰城) Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造 :三重櫓(複合式層塔型3重3階 1632年築・1991年木造復元)

築城主 :結城親朝

築城年 :興国元年/暦応3年(1340年)

主な改修者 :丹羽長重

主な城主 :白河結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏他

廃城年 :明治4年(1871年)

遺構 :石垣、土塁、堀

指定文化財 :国の史跡

再建造物 :三重櫓・太鼓櫓・門

 

幕末藩主:藩主不在

※第七代藩主阿部正外は開港論を主張したため慶応元年(1865年)10月、官位没収、謹慎となる。慶応2年(1866年)、第八代阿部正静(まさきよ)のとき棚倉藩に転封、白河藩領は二本松藩の預かり地となったため、戊辰戦争時は藩主不在で係争の地となり、白河城は戦火によって大半を焼失した。阿部正静は棚倉藩として奥羽越列藩同盟に参加し、白河口で西軍と対峙した。

戊辰戦争時:白河城は慶応4年5月西軍により占拠され、列藩同盟はその後何度も奪還を試みるが失敗に終わる(白河口の戦い)。列藩同盟の総督はあの西郷頼母。

ここの戦い終結(7月14日)から会津落城(9月22日)まではあっという間だった。

白河藩訪問記

2016年12月17日 三重櫓入口で100名城スタンプを押印

昨年から三重櫓の見学ができるようになったとのこと

2013年10月13日

会津戦争史跡巡りの途中に立ち寄る。2011年大震災で石垣が崩れ本丸は立入禁止になっていた。にもかかわらずボランティアガイドさんがいて親切に説明してくれた。

白河市周辺史跡案内のパンフレットが非常に充実していた。

2016年12月17日撮影 前回はここまで入れなかった
2016年12月17日撮影 前回はここまで入れなかった
2013年10月13日撮影 修理のため石垣を剥ぎ取っている
2013年10月13日撮影 修理のため石垣を剥ぎ取っている

 

●フォトギャラリー 2016.12.17  ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー 2013.10.13  ※クリックで拡大

 

●白河小峰城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得

白河小峰城周辺の地形を調べてみる

白河小峰城は、阿武隈川のすぐ南に位置している。川沿いの小さな「丘陵地」を平坦化して築城したのか・・

お城地形区分は「孤立丘陵」

白河の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

 

●国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

 

G-Banz 標高グラフ