陸奥国 仙台藩

仙台藩について

仙台藩:外様 62万石 Wikipedia

藩主家の変遷:1601年(慶長6年)、伊達政宗が国分氏の居城であった千代城を修築(実質は新築)し、「仙台城」と改称し、居城を岩出山城から移した。同時に城下町も建設し、政宗を初代藩主とする仙台藩(62万石)が成立。以降は明治の廃藩置県まで代々伊達家本家が統治した。

 

居城:宮城県仙台市 仙台城(青葉城、五城楼)  Wikipedia

城郭構造:連郭式平山城

天守構造 :建造されず

築城主 :伊達政宗

築城年 :1601年

主な改修者 :伊達忠宗

主な城主 :伊達氏

廃城年 :1871年

遺構 :石垣、土塁、堀

指定文化財 :国の史跡

再建造物 :脇櫓

 

幕末藩主:伊達慶邦(当時42歳)

戊辰戦争への対応:奥羽列藩同盟を結成し盟主となったものの、白河城の攻防戦後増派される新政府軍の前に降伏を決断し9月15日に了承される。戊辰戦争における仙台藩の殉難者は1200名以上と言われる。戦後処分は62万石から28万石に減封。

仙台藩訪問記

2017年4月23日

100名城スタンプをもらいに3度目の訪問。本丸大広間跡の遺構表示が出来ていた。

この日は、山形城→多賀城→仙台城

2014年6月6日

2011年8月(写真無し)に続いて2度目の訪問。

2014年6月6日撮影 大手門脇櫓
2014年6月6日撮影 大手門脇櫓

 

●フォトギャラリー  2017.04.23 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー  2014.06.06 ※クリックで拡大

 

●仙台城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得)

仙台城周辺の地形を調べてみる

仙台城は、広瀬川の西側、急に切り立った台地の先端に位置する。

お城地形は「台地先端・川沿い」

仙台市の歴史、地理、町並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

 

●地理院地図 土地条件図

 

●地理院地図 土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図(昭和5年) ※時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」

仙台城跡地は、明治以降日本陸軍が利用。戦後は昭和32年に返還されるまでアメリカ陸軍が使用した。


●国土調査 地形分類図


●地理院地図 都市圏活断層図


G-Banz 標高グラフ