陸奥国 三春藩

三春藩について

三春藩:譜代 5万石 Wikipedia

藩主家の変遷:三春は、戦国時代には田村氏が本拠を置いたが、豊臣秀吉の奥州平定(奥州仕置)時に改易され、蒲生氏郷の領域となる。1627年、蒲生氏に代わって伊予国松山から加藤嘉明が移封され、会津に入ったとき、嘉明の次男・明利が3万石で三春に入った。同年、領民による新領主反対の一揆がおこっている。翌年、二本松から松下長綱が3万石で入る。

正保2年(1645年)、秋田俊季が常陸宍戸藩から陸奥三春に5万5000石で移封された。以後幕末維新まで秋田家の統治が続いた。

 

居城:福島県田村郡三春町 三春城(舞鶴城)  Wikipedia

城郭構造:山城→平山城(江戸時代初期に曲輪や藩主の居館を山麓に設けた)

天守構造 :なし

築城年 :不明

主な改修者 :松下長綱

主な城主 :田村氏、松下氏、加藤氏、秋田氏

廃城年 :明治4年(1871年)

遺構 :曲輪

指定文化財 :町指定史跡

 

幕末藩主:秋田映季(あきすえ、当時9歳)

戊辰戦争への対応:奥羽列藩同盟に参加するものの、本来は新政府側だったのだろう。二本松戦争の二日前7月27日に新政府軍に正式降伏。最後の最後まで態度を明らかにしなかったため、三春藩の降伏により窮地に追い込まれた二本松藩の展開した死闘(7月29日)との対比もあり、一般に「寝返り」「裏切り」との評価がされている。

※逆に、藩内を兵災から守り、多くの人命が救われた、との評価も。

三春藩訪問記

2013年11月7日

二本松藩の次に訪問。

駐車場が分からず、登って降って2周してしまった。

ウォーキングにはもってこいの丘陵地と思う。紅葉きれい。

 

●フォトギャラリー 2013年11月7日   ※クリックで拡大

・三春城跡

・有名な三春滝桜の場所はどんなところかと立ち寄り。もちろん誰もいない。 

 

●三春城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得)

三春城周辺の地形を調べてみる

三春城のある三春町は丘陵と谷が入り組んでいることろ。三春城は丘陵地のてっぺんにある。

お城地形区分は「山地・丘陵地」

※水田が狭隘な谷地にしか見当たらないんだけど、5万石もあったとは・・どこに領地が?

●地理院地図 地形図+色別標高図

城は山の上だが、藩主の居館は麓の三春小学校一帯にあった。

地図を見ながら戊辰戦争のこと。。

明治元年(1868年)7月27日、三春藩が正式に降伏。

7月29日、新政府軍が二本松城を攻撃、二本松戦争、同日落城。福島城も同日開城。

8月21日、会津側、母成峠の戦いに敗れる。

8月23日、会津藩、籠城戦開始。

9月22日、会津藩、降伏開城。

 

G-Banz 標高グラフ