日向国 高鍋藩

戊辰戦争時の高鍋藩について

高鍋藩:外様 2.7万石 Wikipedia

居城:宮崎県高鍋町 高鍋城 Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

開戦時藩主:秋月種殷(たねとみ 当時50歳)

藩主家の変遷:慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、秋月種長は西軍に与して大垣城を守備していたが、9月15日の関ヶ原本戦で西軍が壊滅すると、いち早く東軍に寝返って大垣城にあった西軍の諸将を殺害して開城したため、所領を安堵された。その後、慶長9年(1604年)居城を財部城(高鍋城)に移し、正確にはこの時点より高鍋藩が成立したと言える。その後秋月氏が幕末維新まで10代続いた。

戊辰戦争への対応:戊辰戦争では新政府軍として出兵。越後方面へ兵を送り、親戚藩である米沢藩が投降する仲介も行った。秋月藩は賞典禄8000石を与えられた。

 

高鍋藩訪問記

2018年3月21日訪問

この日は、佐土原城、西都原古墳群、日向国分寺・国府跡、高鍋城と巡って高千穂峡近くに宿泊。夕食後は高千穂神社の夜神楽も観てと忙しい1日だった。

 

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●高鍋城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

高鍋城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「丘陵地先端」

地理院地図 治水地形分類図更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図