肥後国 熊本藩

熊本藩について

熊本藩:外様 54万石 Wikipedia

藩主家の変遷:すでに肥後北部25万石を領有していた隈本城主加藤清正が、関ヶ原の戦いの戦功により小西行長の旧領を獲得し、また豊後国内にも鶴崎など2万石を加増され、52万石を領したことにより熊本藩が成立した。 清正は日本三名城に数えられる熊本城を築いた。

加藤家2代忠広は、寛永9年(1632年)駿河大納言事件に連座したとされる罪で改易され出羽国庄内に配流、加藤家は断絶した。

寛永9年(1632年)豊前国小倉藩より細川忠利が54万石で入部し以後廃藩置県まで細川家が藩主として存続した。

 

居城:熊本県熊本市 熊本城(千葉城(出田氏)、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城) Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造 :連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築) 外観復元(RC造 1960年再)

築城主 :出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)

築城年 :1469年–1487年頃

主な改修者 :加藤清正

主な城主 :加藤氏、細川氏

廃城年 :1874年

遺構 :櫓・門・塀、石垣、堀

指定文化財 :国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1棟、国の特別史跡:熊本城跡

再建造物 :外観復元:大小天守、平櫓、木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、馬具櫓、本丸御殿大広間

 

幕末藩主:細川韶邦(よしくに 当時32歳)

戊辰戦争への対応:藩主細川韶邦は佐幕派、弟の護久は勤王派と複雑だった。慶応4年1月3日、京都藩邸に入った時点では佐幕派が優勢だったが、尾張藩が新政府軍につくとの情報で直ちに恭順を示し、以後各地に派兵した。戊辰軍功賞典金二千両。箱館軍功賞典金一千両。

  

熊本藩訪問記

2017年2月19日

熊本城マラソン参加のため2泊3日で熊本県訪問。

18日は阿蘇神社、鞠智城跡、装飾古墳館、江田船山古墳、田原坂古戦場へ。

19日はマラソン後に熊本城巡り ※地震被害を間近に見た

20日は早朝に古町界隈散策、その後肥後国分寺・国府跡、人吉城跡、青井阿蘇神社へ。

2007年5月26日

熊本は二度目。お城に行くことは行ったけど写真もないし記憶もあまり・・・

加藤神社から間近に見る、大天守・小天守
加藤神社から間近に見る、大天守・小天守
大天守のアップ。痛々しい・・
大天守のアップ。痛々しい・・
宇土櫓と大天守・小天守
宇土櫓と大天守・小天守
かろうじて隅の石に支えられている戌亥櫓
かろうじて隅の石に支えられている戌亥櫓

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●熊本城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得

熊本城周辺の地形を調べてみる

熊本城は熊本平野北部、茶臼山台地の先端に位置する。

お城地形区分は「台地先端」

熊本の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

●地理院地図 土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

地理院地図 地形治水分類図

 

●地理院地図 都市圏活断層図

 

●国土調査 地形分類図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

 

G-Banz 標高グラフ