日向国 延岡藩

戊辰戦争時の延岡藩について

延岡藩:譜代 7万石 Wikipedia

居城:宮崎県延岡市 延岡城 Wikipedia

城郭構造:平山城

開戦時藩主:内藤政挙(まさたか 当時16歳)

藩主家の変遷:延岡藩は、豊臣秀吉の九州征伐後の天正15年(1587年)に豊前国香春(福岡県田川郡香春町)周辺の領主高橋元種が延岡南部の松尾城5万石に封ぜられたことに始まる。慶長6年(1601年)、元種は県城(延岡城)を築城して松尾城より移り、以後明治維新までこの城が藩政の中心となった。高橋氏→有馬氏→三浦氏→牧野氏。

延享4年(1747年)、陸奥国磐城平藩より内藤政樹が7万石で入封して、その後は幕末維新まで内藤氏がこの地を治めた。

戊辰戦争への対応:鳥羽・伏見の戦い後、延岡藩は「朝敵」とされるが、これは、藩主が在国中の折に大坂駐在の部隊が譜代藩としての立場上、幕府の命令を受けて警備の任に就いてしまったゆえの「不運」によるもので、早い時期に熊本藩や薩摩藩による周旋が行われて5月に在京中の藩主・政挙に部下の不手際を理由として謹慎100日の処分が下されたのみで藩及び家臣に対する処分は行われなかった。

延岡藩訪問記

2018年3月22日訪問

前日は高千穂峡近くに宿泊。午後の会議の前に延岡城に立ち寄った。

 

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●延岡城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

延岡城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「孤立丘陵」

 ●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 地形図+色別標高図