筑後国 久留米藩

戊辰戦争時の久留米藩について

久留米藩:外様 21万石 Wikipedia

居城:福岡県久留米市 久留米城 Wikipedia

城郭構造:連郭式平山城

開戦時藩主:有馬頼威(よりしげ 当時44歳)

藩主家の変遷:関ヶ原の戦いののち、筑後一国32万5000石は田中吉政の所領となった。元和6年(1620年)、2代藩主田中忠政が病没すると、無嗣子により田中氏は改易となった。その所領は分割され、久留米を含む筑後中部・北部の21万石は有馬豊氏の所領となった。なお、筑後南部には立花宗茂の柳河藩(10万9000石)と、立花種次(宗茂の甥)の三池藩(1万石)が成立した。

戊辰戦争への対応:慶応4年(1868年)には大政奉還を受ける形で尊王攘夷派が復権し、佐幕派の首脳を排除・粛清。戊辰戦争が始まると新政府軍側で参戦した。軍功により明治政府より賞典禄1万5千石を与えられた。

 

久留米藩訪問記

2018年2月17日訪問

北九州マラソンの前日に、柳川、八女、久留米の史跡を訪問。

 

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●久留米城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

久留米城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

地理院地図 治水地形分類図更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図