安芸国 広島藩

広島藩について

広島藩:外様 42.6万石 Wikipedia

藩主家の変遷毛利氏は戦国時代、安芸国の守護だった安芸武田氏を討ち、大内義長を滅ぼし、尼子義久を降伏させて中国地方の大半(一時は九州の一部にも及ぶ)を領する大大名となる。天正19年(1591年)には広島城が築城されて毛利氏の居城となり、広島は政治・経済の中心地となった。

しかし慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍の総大将として参戦し敗戦した毛利輝元は、戦後、山陰山陽の112万石から防長2国(長州藩・現在の山口県)29万石に減封された。

毛利氏のあとは安芸・備後2ヶ国の49万8000石の太守として、尾張国清洲より福島正則が入封した。城下町の建設や国内産業の発展なども正則の時代に行なわれ、広島藩の藩政が確立した。

元和5年(1619年)6月、福島政則は広島城を無断改修した武家諸法度違反の咎により、大幅減封の上信濃国川中島藩に転封になり、代わって紀州藩より、豊臣政権下で五奉行を務めた浅野長政の次男・浅野長晟(ながあきら)が安芸1国・備後8郡の42万6000石で入封、浅野家の領国統治が幕末維新まで続いた。

 

居城:広島県広島市 広島城(鯉城、在間城、当麻城) Wikipedia

城郭構造:輪郭式平城

天守構造 :複合連結式望楼型5重5階(1599年・非現存) 外観復元(SRC造・1958年再)

築城主 :毛利輝元

築城年 :1589年

主な改修者 :福島正則

主な城主 :毛利氏、福島氏、浅野氏

廃城年 :1874年

遺構 :石垣、堀

指定文化財 :国の史跡

再建造物 :大天守・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓・表御門

 

幕末藩主:浅野長訓(ながみち 当時55歳)

実力者:世子浅野長勲(ながこと)

戊辰戦争への対応:広島藩は長州藩・薩摩藩と同盟を結ぶに至ったものの、徳川慶喜の大政奉還を推進したため倒幕の密勅から外された。戊辰戦争では新政府軍に加わり、中国・四国諸藩の恭順化に尽力したのをはじめ、関東、東北各地に出兵した。戊辰軍功賞典15000石。

 

広島藩訪問記

2017年8月31日 2度目の訪問

この日は広島空港でレンタカーを借りて、安芸国分寺跡→郡山城(100名城)→広島城(100名城)

2012年11月15日

出張のついでに駆け足で広島城と原爆ドームへ。

2017年8月31日撮影 二の丸跡
2017年8月31日撮影 二の丸跡
2012年11月15日撮影 天守閣跡
2012年11月15日撮影 天守閣跡

 

●フォトギャラリー  2017.08.31 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー  2012.11.15 ※クリックで拡大

 

●広島城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得

広島城周辺の地形を調べてみる

広島城は、太田川放水路と旧太田川(本川)の分岐点を境に北部と南部に広がる広島平野の中心に位置する。

お城地形区分は「低地三角州」

 

●地理院地図 治水地形分類図(更新版)

これぞ、ザ・三角州! と言った感じの地形。

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は昭和初期の地形図。城跡がまだ市街化されていない(軍が利用している)ので、かなり広かったのが分かる。また現在の広島港他、広島湾岸の埋め立ての変遷がよく分かる。

※画像クリックで拡大  ↓下の地図へリンク

 

●地理院地図 治水地形分類図

 

●地理院地図 都市圏活断層図

 

●国土調査 地形分類図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

 

G-Banz 標高グラフ