尾張国分寺

国分寺跡:畑の中にひっそりと塔跡・礎石がある

国分尼寺跡:遺構は未詳。国分寺跡から北西の稲沢市法花寺町の法華寺付近と推定

国府跡:発掘調査が不十分であるため所在地は明らかでない。稲沢市松下の松下公民館付近に尾張国衙址の石碑と説明板あり

総社:現大国霊神社

尾張国分寺訪問記

2014年6月29日訪問

国分寺跡は畑の中で探しにくいのかと思いきや、看板が整備されていて一発到着!

 

●フォトギャラリー  2014.06.29 ※クリックで拡大

国分寺跡

国衙址

総社 大国霊神社

尾張国分寺周辺の地形を調べてみる

尾張国府や尾張国分寺があった地域は、濃尾平野の中央部で、木曽川の支川三宅川によって形成された自然堤防上に位置している。国分寺地形区分は「低地自然堤防」

木曽川河口から国分寺跡まで直線で20km程もあるのに、標高は3mしかない。7、8世紀のころは伊勢湾はまだ現在の内陸まで侵入していて広い湿地帯を作っていたのであろう。

 

●地理院地図 土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図


●Flood Maps 海面上昇シミュレーション(+5m)

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治26年発行の地図。国分村の地名が見える。

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●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治26年発行、国府宮付近の地図。まだ名鉄名古屋本線が開通していない。

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