戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。
西暦 | 元号年 | 月日 | 出来事 |
1866 | 慶応2年 | 1.21 | 京都で西郷隆盛・小松帯刀と桂小五郎会談。薩長同盟成立 |
6.7 | 第二次長州征伐開始。薩摩藩は出兵を拒否。9月に休戦 | ||
7.20 | 江戸幕府第14代将軍徳川家茂死去 | ||
12.5 | 徳川慶喜、15代将軍に就任 | ||
12.15 | 孝明天皇崩御 | ||
1867 | 慶応3年 | 5.4 | 四侯会議(島津久光、松平慶永、山内豊信、伊達宗城) |
5.24 | 徳川慶喜、四侯会議を制し、兵庫開港の勅許を得る。5月25日、薩摩藩は四侯側の敗北を受けて会議を開き、武力倒幕の方針を固める。 | ||
10.14 | 討幕の密勅が薩摩藩と長州藩に下る(現在では偽勅説が有力) | ||
10.14 | 大政奉還、15代将軍徳川慶喜が天皇に政権返上を申し出て翌日受理される | ||
11.15 | 坂本竜馬が近江屋で暗殺される | ||
12.9 | 王政復古の大号令、新政府樹立 | ||
12.12 | 徳川慶喜、二条城を退去。翌日大坂城に到着 | ||
1868 | 慶応4年 | 1.3 | 鳥羽伏見の戦いで「戊辰戦争」が始まる |
1.6 | 慶喜、大阪城を脱出し、江戸へ逃げ帰る | ||
2.12 | 慶喜、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す | ||
3.14 | 西郷隆盛と勝海舟の会談で、江戸での戦闘が回避されることになる | ||
4.11 | 江戸城無血開城 | ||
閏4.20 |
白河口の戦いから「会津戦争」開始 |
||
5.3 | 奥羽25藩が奥羽列藩同盟を結成 | ||
5.6 | 長岡藩など北越6藩が加わり奥羽越列藩同盟になる | ||
5.15 | 上野戦争、上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で玉砕 | ||
7.29 | 会津方面で二本松城、越後方面で長岡城が陥落 | ||
8.23 | 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻。会津側は若松城で籠城を始める | ||
明治元年 | 9.8 | 明治に改元 | |
9.9 | 米沢藩が新政府軍に寝返る。翌日には仙台藩も降伏 | ||
9.22 | 会津藩が降伏。「会津戦争」が終結 | ||
10.25 | 榎本武揚軍が箱館を占領する | ||
1869 | 明治2年 | 3.9 | 箱館の榎本政権追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発 |
5.11 | 箱館総攻撃 | ||
5.18 |
五稜郭が陥落、旧幕府軍が降伏して箱館戦争が終わる 「戊辰戦争」が終結する |
※幕末年表 1853年(嘉永6年)から1865年(慶応元年)まで
西暦 | 元号年 | 月日 | 出来事 |
1853 | 嘉永6年 | 6.9 | マシュー・ペリー、浦賀に来航(黒船来航)。6月12日に日本を離れる |
6.22 | 江戸幕府第12代将軍徳川家慶、死去 | ||
7.18 | ロシア使節・プチャーチン、長崎来航。10月23日まで滞在 | ||
11.7 | 幕府、ジョン万次郎を旗本格として登用 | ||
11.23 | 徳川家定、13代将軍に就任 | ||
1854 | 嘉永7年 | 1.16 | ペリー、再来航 |
3.3 | 日米和親条約調印 | ||
11.4 | 安政東海地震。ロシア乗艦ディアナ号大破。翌日安政南海地震 | ||
安政元年 | 11.27 | 内裏炎上、地震、黒船来航などの災異のため安政に改元 | |
1855 |
安政2年 |
3.22 | プチャーチン、日本人が完成させたヘダ号で帰国 |
10.2 | 安政江戸地震。江戸で町方死者4700人余 | ||
10.9 | 阿部正弘、堀田正睦に老中首座を譲る | ||
10.24 | 幕府、長崎に海軍伝習所を設立。安政6年(1859年)に閉鎖 | ||
1856 | 安政3年 | 4.13 | 幕府、築地に講武所を開設 |
7.21 | ハリス、アメリカ総領事として下田に到着 | ||
12.18 | 徳川家定、島津斉彬の養女篤子と婚儀 | ||
1857 | 安政4年 | 4.11 | 幕府、築地の講武所内に軍艦操練所を設立 |
5.26 | 日米和親条約を修補する全9箇条の下田条約が締結 | ||
6.17 | 阿部正弘、没 | ||
8.5 | オランダで建造された咸臨丸、長崎に到着 | ||
10.21 | ハリス、江戸城にて将軍家定に謁見し国書を渡す | ||
12.11 | 日米修好通商条約交渉開始 | ||
1858 | 安政5年 |
2.5 |
老中堀田正睦、日米修好通商条約の勅許を得るため入京 |
3.12 | 岩倉具視等攘夷派公家88人、条約勅許への反対を表明し座り込み(廷臣八十八卿列参事件) | ||
4.23 | 井伊直弼、大老に就任 | ||
6.19 | 日米修好通商条約調印 | ||
7.5 | 井伊直弼、一橋派の徳川斉昭、徳川慶篤、徳川慶勝、松平慶永を隠居謹慎などに処す。安政の大獄の始まり | ||
7.6 | 13代将軍徳川家定、死去 | ||
7.16 | 島津斉彬急死。井伊への抗議のための挙兵上洛計画実現せず | ||
8.8 |
朝廷、水戸藩に勅書を送る(戊午の密勅) |
||
10.16 |
西郷隆盛、尊王僧・月照とともに錦江湾に入水。その後奄美大島へ潜居 |
||
10.25 | 徳川家茂、14代将軍に就任 | ||
1859 | 安政6年 | 6.2 | 神奈川・長崎・箱館を開港 |
9.14 | 梅田雲浜、断罪。以降、頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰など刑死 | ||
1860 | 安政7年 | 1.22 | 日米修好通商条約批准書交換のため万延元年遣米使節が米艦ポーハタン号で出発。護衛名目で、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗った咸臨丸も渡米。 |
3.3 | 桜田門外の変、大老・井伊直弼、桜田門外で暗殺される | ||
万延元年 | 3.18 | 江戸城火災や桜田門外の変などの災異のため万延に改元 | |
9.27 | 遣米使節帰国 | ||
10.18 | 孝明天皇、和宮内親王の徳川家茂への降嫁を勅許 | ||
12.5 | アメリカ公使館通訳・ヒュースケン、薩摩藩士に殺害される | ||
1861 | 文久元年 | 5.28 | 水戸浪士ら、東禅寺のイギリス公使館を襲撃 |
7.2 | 長州藩重臣・長井雅楽、老中に航海遠略策を上申 | ||
1862 | 文久2年 | 1.15 | 公武合体派の老中安藤信正、水戸浪士に襲われ負傷(坂下門外の変)。4月11日、老中を罷免される |
2.11 | 公武合体の象徴として、皇女和宮親子内親王と将軍家茂との婚礼 | ||
4.16 | 公武合体推進のため島津久光、兵を率いて入京。朝廷、幕府に三事策を求める | ||
4.23 | 寺田屋事件。久光の命令により薩摩藩攘夷派一掃される | ||
6.7 | 勅使・大原重徳、島津久光に護衛され江戸に到着 | ||
7.6 | 三事策に基づき、一橋慶喜が将軍後見職に、7月9日松平慶永が政事総裁職に任命される | ||
8.21 | 生麦事件。江戸から京都へ向かう久光一行の通行を妨害したイギリス人4人が殺傷される | ||
閏8.1 | 会津藩主・松平容保、京都守護職に任命される | ||
12.12 | 高杉晋作ら長州藩士10名、英国公使館焼き討ち | ||
1863 | 文久3年 | 2.19 | 英国代理公使ニール、幕府に東禅寺事件と生麦事件の賠償金合計11万ポンドを要求 |
3.4 | 徳川家茂上洛。将軍の上洛は徳川家光以来229年ぶり | ||
3.13 | 清川八郎の提唱による浪士組、江戸に帰るが、近藤勇らは残留。壬生浪士(新選組の前身)結成 | ||
4.20 | 徳川家茂、孝明天皇に5月10日 をもっての攘夷実行を約束させられる | ||
5.5 | ニール、英国東インド艦隊司令キューパー提督に、幕府に対する軍事行動を命令 | ||
5.9 | 小笠原長行、独断で賠償金11万ポンド全額を支払い、戦争回避 | ||
5.10 | 長州藩、下関で外国商船を砲撃(下関戦争) | ||
5.26 | 小笠原長行、幕府陸軍1600人を率い、海路横浜を出発、武力上洛を目指す。6月5日、家茂の説得により入京を断念するが、家茂の江戸帰還が認められる。6月13日、家茂、江戸に帰る | ||
6.1 | 米国、下関に報復攻撃。6月5日、フランス、下関に報復攻撃。上陸し一部砲台を破壊 | ||
6.7 | 高杉晋作、藩に奇兵隊編成を建白 | ||
7.2 | 薩英戦争、イギリス軍艦、鹿児島に砲撃し薩摩藩、応戦 | ||
8.13 | 会薩同盟成立 | ||
8.17 | 天誅組の変。公卿中山忠光を主将とした尊皇攘夷派浪士が大和国で決起するが、9月27日に壊滅 | ||
8.18 | 八月十八日の政変。七卿落ち。京都から攘夷派が一掃される | ||
10.5 | 薩英戦争の講和成立、賠償金2万5千ポンド支払い。この交渉を通じて、薩摩と英国が接近 | ||
10.12 | 生野の変。平野国臣等尊攘派浪士が但馬国生野で挙兵するも数日で鎮圧される | ||
12.8 | 小栗忠順、横須賀製鉄所建設案を幕府に提出 | ||
12.30 | 一橋慶喜・雄藩諸侯(松平慶永、山内豊信、伊達宗城、松平容保、島津久光)ら朝議参預に任じられる(参預会議) | ||
1864 | 文久4年 | 1.15 | 徳川家茂、再度上洛 |
元治元年 | 3.9 | 参与会議瓦解 | |
3.19 | 西郷隆盛、薩摩藩の軍賦役(軍司令官)に任命される | ||
3.27 | 天狗党の乱。水戸藩執政武田耕雲斎を中心とし、横浜即時鎖港を求め挙兵。12月17日(1865年1月14日)投降 | ||
6.5 | 池田屋事件。長州藩、土佐藩などの攘夷派多数が新選組に斬殺・逮捕される | ||
7.19 | 禁門の変。薩摩藩・会津藩が長州藩を京都から駆逐。御所に発砲した長州藩が朝敵とされた | ||
8.5 | 馬関戦争。英仏蘭米連合軍、下関を攻撃。長州藩敗北。但し、賠償金300万ドルは幕府が支払うことになる | ||
11.18 | 第一次長州征伐。征長軍参謀西郷隆盛の妥協案に基づき、長州藩、戦わずして恭順 | ||
12.15 | 高杉晋作、下関で挙兵(功山寺挙兵)。長州藩の藩論が倒幕に統一される | ||
1865 | 慶応元年 | 閏5.2 | 第二代英国公使ハリー・パークス着任 |
8.24 | 幕府、フランスの協力を得て横須賀製鉄所着工 | ||
9.16 | パークスの主導で英仏蘭三ヶ国艦隊、兵庫沖に来航。条約勅許と兵庫の早期開港を求める(兵庫開港要求事件) | ||
10.5 | 朝廷、条約に対する勅許を出す。兵庫開港は認めず | ||