常陸国 水戸藩

戊辰戦争時の水戸藩について

水戸藩:御三家 35万石 Wikipedia

居城:茨城県水戸市 水戸城 Wikipedia

城郭構造:連郭式平山城

開戦時藩主:徳川慶篤(当時35歳)

藩主家の変遷:武田(松平)家→徳川(紀州)家→1609年(慶長14)、家康の十一男で当時6歳の鶴千代丸(徳川頼房)が下総下妻藩より25万石で入封。

水戸家の支系(御連枝)は、讃岐国高松藩の高松松平家、陸奥国守山藩の守山松平家、常陸国府中藩の府中松平家、常陸国宍戸藩の宍戸松平家の4家

戊辰戦争への対応:水戸藩では佐幕派と勤王派の内部抗争が激しく明治維新前に優秀な人材を多数失った。戊辰戦争では新政府軍に参加したが、一部佐幕派が会津藩と合流したためそこでも抗争が続いた。また箱館戦争には自主的に出兵を願い出た。箱館軍功賞典3500石。

水戸藩訪問記

2017年8月20日 2度目の訪問で100名城スタンプをゲット

前日ゴルフ後水戸駅近くに宿泊。

この日は、朝ジョギングで千波湖・偕楽園・三の丸周辺を巡る。

ホテルチェックアウト後に弘道館・大手橋・薬医門周辺を訪ねる。大手門を復元工事中だった。城跡通りが随分きれいに整備されたと感じた。

その後はレンタカーで、笠間城跡、常陸国分寺跡、土浦城跡へ。

2012年3月25日訪問

偕楽園の梅見のついでに旧弘道館を訪ねた後、水戸城跡付近をぶらぶら。

2017年8月20日撮影 水戸市は水戸城跡の復元整備に力を入れているようだ
2017年8月20日撮影 水戸市は水戸城跡の復元整備に力を入れているようだ
おっ、きれいになった、との印象
おっ、きれいになった、との印象
2012年3月25日撮影 水戸城唯一の建築遺構、藥医門
2012年3月25日撮影 水戸城唯一の建築遺構、藥医門

 

●フォトギャラリー  2017.08.20 ※クリックで拡大

弘道館から大手橋、薬医門へ

 

●フォトギャラリー  2017.08.20朝 ※クリックで拡大

千波湖から偕楽園、三の丸跡へ

 

●フォトギャラリー  2012.03.25 ※クリックで拡大

・偕楽園

・旧弘道館

・水戸城跡

・千波湖

 

●水戸城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

 

●水戸城二の丸御三階櫓 ※参照:幕末日本の城(山川出版社)

天守を建てなかった水戸城では二の丸に城を代表する三階櫓を建設していた。

この櫓も戦災で焼け落ちた。

水戸城周辺の地形を調べてみる

水戸城は北の那珂川と南の千波湖に挟まれた舌状台地の先端に位置する。

 お城地形区分は「台地先端」

水戸の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

 

 ●地理院地図 土地条件図 初期整備版

 土地条件図 数値地図25000

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

左は明治後期の地形図。

千波湖の大きさが現在と全然違う! 大正の頃から埋め立てられたよう。

※画像クリックで拡大  ↓下の地図へリンク

 

●地理院地図 治水地形分類図

 

●国土調査 地形分類図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

●シームレス地質図

 

G-Banz 標高グラフ