播磨国 赤穂藩

戊辰戦争時の赤穂藩について

赤穂藩:外様 2万石 Wikipedia

居城:兵庫県赤穂市 赤穂城 Wikipedia

城郭構造: 変形輪郭式平城

開戦時藩主:森 忠典(ただつね 当時20歳)

藩主家の変遷:池田家→浅野家(赤穂事件)→永井家→

宝永3年(1706年)、備中国西江原藩より森長直が2万石で入部。幕末維新まで12代165年間、森家の支配が続いた。

戊辰戦争への対応:幕末には藩政の改革をめぐり保守派・革新派の対立が起こり藩内は分裂。革新派の一部は脱藩し長州藩へ奔った。文久2年(1862年)、攘夷派が保守派の家老を暗殺するという事件が起こり、藩論は分裂したままであった。

元治元年(1864年)の第1次長州征伐、慶応2年(1866年)に第2次長州征伐では幕府方として大坂警備を務めた。

慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れた後の1月12日に新政府に与し、姫路藩が恭順した後の姫路城の警衛を命じられた。

 

赤穂藩訪問記

2018年11月2日訪問

岡山→赤穂城→明石城

このお城跡、大石神社も含めてとても広い!

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

赤穂浪士の町ですね。。

 

●赤穂城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

赤穂城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「低地三角州」

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 地形図+色別標高図