播磨国 明石藩

戊辰戦争時の明石藩について

明石藩:親藩 8万石 Wikipedia

居城:兵庫県明石市 明石城 Wikipedia

城郭構造:連郭梯郭混合式平山城

開戦時藩主:松平 慶憲(よしのり 当時42歳)

藩主家の変遷:小笠原家→松平(戸田)家→大久保家→松平(藤井)家→本多家→

天和2年(1682年)、越前国大野藩より松平直明が6万石にて入封し、越前松平家の支配が幕末維新まで続いた。

戊辰戦争への対応:幕末には御家門の立場上佐幕派であった。鳥羽・伏見の戦いには幕府方として参陣したが遅参し、大坂城にあった将軍徳川慶喜の救出が出来ず明石に引き返す。明石城に官軍の山陽鎮撫使が進軍したため、本家筋の前福井藩主松平春嶽の取り成しで恭順の意を表し城を明け渡す。官軍に従軍し姫路まで進軍する。戊辰戦争に参戦し藩兵を越後方面へ派兵する。

 

明石藩訪問記

2018年11月2日訪問

岡山→赤穂城→明石城

 

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●明石城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

明石城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

●地理院地図 ベクトルタイル地形分類

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

画面4分割で明治から現在までの地図を比較してみる。

明治期は明石駅周辺も田んぼが多く、海に近い砂丘微高地に市街地が広がっている。

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