播磨国 姫路藩

戊辰戦争時の姫路藩について

姫路藩:譜代 15万石 Wikipedia

居城:兵庫県姫路市 姫路城(白鷺城) Wikipedia

城郭構造:渦郭式平山城

開戦時藩主:酒井 忠惇(ただとし 当時28歳)

藩主家の変遷:藩主ははじめ外様の池田氏で、のち譜代大名が転々とした末に、1749年(寛延2年)から廃藩置県までは徳川譜代の名門酒井氏が支配した。石高ははじめ52万石、のち15万石。

戊辰戦争への対応:幕末の藩主酒井忠惇は老中となるが、鳥羽・伏見の戦いで徳川将軍家の徳川慶喜に随行して大坂退去にも同道したので、戊辰戦争では姫路藩は朝敵の名を受け、官軍の討伐対象とされた。在国の家臣は1月17日に無血開城して姫路城は岡山藩に占領されるが、3月7日になって藩主忠惇の官位剥奪と入京禁止が命じられ、会津藩などと同様に慶喜の共犯者とみなされた。だが、慶喜が江戸城を無血開城して恭順の意を表明したため、江戸藩邸にいた忠惇もそれに従って新政府軍に降伏した。軍用金15万両献納。

姫路藩訪問記

2015年12月29日訪問

播磨国分寺から、書写山円教寺、姫路城、播磨国総社(射楯兵主神社)と訪ねた。

何と姫路城は年末でお休みだった。※100名城スタンプは後日息子に頼んだ。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●姫路城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

姫路城周辺の地形を調べてみる

姫路城は現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた。

お城地形区分は「孤立丘陵」

姫路の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

 

地理院地図 地形図+色別標高図+土地条件図(数値地図)

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図との比較 今昔マップon the web((C)谷 謙二)

画面4分割で明治から現在までの地図を比較してみる。

明治期の姫路城周辺は田んぼが多い。姫路城から飾磨へ続く街道は当時賑やかだったのか。。

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