信濃国 上田藩

戊辰戦争時の上田藩について

上田藩:外様 5.3万石 Wikipedia

居城:長野県上田市 上田城 Wikipedia

城郭構造:梯郭式平城

開戦時藩主:松平忠礼(ただなり 当時17歳)

藩主家の変遷:上田は武田旧臣であった真田昌幸が、千曲川沿いに上田城(天正11年(1583年)着工)を築いたことから始まる。

慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では、西軍に与して徳川秀忠軍3万2千を数千の兵で撃退したが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れたため、昌幸・真田信繁(幸村)父子は紀州九度山に幽閉され、上田城は破壊される。 代わって東軍に与した嫡男の真田信之が父の領地を継承、信之は元和2年(1616年)に上田に移り、徳川体制下における上田藩9万5000石が成立した。

上田家 → 仙石家 → 宝永3年(1706年)、但馬出石藩から松平忠周が5万8000石で入り以後藤井松平家が幕末維新まで続いた。

戊辰戦争への対応:藩主忠礼は鳥羽伏見の戦い後も佐幕を宣言していたが、官軍が来るとあわてて恭順、その後は新政府側に与して北越戦争、会津戦争に出兵した。賞典禄3千石。

 

上田藩訪問記

2016年7月2日 二度目の訪問

 大河ドラマ「真田丸」効果で人出が多い。

 

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●上田城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます

上田城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

 

地理院地図 治水地形分類図 更新版

 

●地理院地図 地形図+色別標高図