陸奥国 盛岡藩(南部藩)

戊辰戦争時の盛岡藩について

盛岡藩(南部藩):外様 20万石 Wikipedia

居城:岩手県盛岡市 盛岡城  Wikipedia

城郭構造:連郭式平山城

開戦時藩主:南部利剛(なんぶとしひさ 当時48歳)

藩主家の変遷:天正18年(1590年)7月、小田原征伐に参陣し豊臣大名として公認される。慶長 5年(1600年)、関ヶ原の戦いで覇権を確立した徳川家康からもそのまま所領が安堵され、表高(軍役高)10万石の大名として認められた。以後幕末まで続いた。

戊辰戦争への対応:藩内は新政府方・反新政府方に意見が対立していたが、最終的に楢山佐渡が藩論を奥羽越列藩同盟への参加継続で一致させ、津軽藩や出羽秋田藩に乱入したが敗退。9月24日、新政府軍に全面降伏。12月17日、反朝廷方であったとして 陸奥白石藩13万石に減転封を課せられた。

盛岡藩訪問記

盛岡城跡には下記のほかに数回行っているが、まともに写真を取ったのは2017年3月だけ。

2017年3月22日訪問

出張で午後から会議の前に立ち寄り

2010年7月7日訪問

出張ついでに立寄るが、お城の写真はない。

2017年3月22日撮影
2017年3月22日撮影


●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

2017年3月22日撮影

盛岡駅から開運橋を渡り盛岡城址→プラザおでってで100名城スタンプ
→桜山神社、内丸緑地、石割桜

 

2010年7月7日撮影

この日は鬼の手形(三ツ石神社)、五百羅漢(報恩寺)、盛岡城跡へ。

 

●盛岡城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます)

盛岡城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「台地先端」

盛岡の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

●地理院地図 治水地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●旧版地形図 ※昭和初期と思われる

下図の薄い水色の部分、現在の大通りから農林会館にかけては地形的に北上川の「旧河道」。この頃は水田であった。薄い赤色は盛岡城跡。