陸奥国 二本松藩

戊辰戦争時の二本松藩について

二本松藩:外様 10万石 Wikipedia

居城:福島県二本松市 霞ケ城(二本松城、白旗城とも) Wikipedia

城郭構造:梯郭式平山城

開戦時藩主:丹羽長国(当時33歳)

丹羽家の領地支配開始期:寛永20年(1643年)8月2日、陸奥白河藩主であった丹羽光重(丹羽長秀の孫)が10万700石で入り、幕末維新まで続く

落城月日:慶応4年(1868年)7月29日

戊辰戦争への対応:奥羽列藩同盟に参加。周辺諸藩が次々と降伏。新政府軍が城下に迫り7月29日早朝から二本松戦争が始まるも、城内には老兵と少年兵しかおらずわずか1日で落城。訓練も受けていない二本松少年隊の悲劇があった。尚、藩主長国は落城前日に米沢藩に逃亡(←なんでだ!)。9月なり新政府に謝罪降伏し帰国を許された。5万石減封。

二本松藩訪問記

2016年12月17日

100名城スタンプを目的に2度目の訪問。

二本松少年隊の墓がある大隣寺にも立ち寄る。

2013年11月7日

出張の帰りに立ち寄り。

ちょうど日本一といわれる「菊人形」をやっていたが、そこには寄らずとにかく天守台まで頑張って歩く。箕輪門(正門)から急いで15分はかかったと思う。ひざ痛の身には辛かった。

 

2016年12月17日撮影
2016年12月17日撮影
2013年11月7日撮影
2013年11月7日撮影

 

●フォトギャラリー  2017.12.17 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー  2013.11.07 ※クリックで拡大

 

●霞ケ城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得)

二本松藩霞ケ城周辺の地形を調べてみる

天守が山のてっぺんにあるけど、山裾の箕輪門から曲輪が配置されているので城郭構造は平山城。通常のお仕事は麓でやっていたであろう。

お城地形区分は「山地・丘陵地」。

二本松の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

 

 ●国土調査 地形分類図

霞ケ城跡の東側や二本松駅周辺が「下位砂礫段丘」になっているが、下のJ-Shis微地形区分では「谷底低地」。砂礫からなる谷地か?

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●J-Shis Map 微地形区分

 

G-Banz 標高グラフ