長門国 萩藩(長州藩)

戊辰戦争時の萩藩について

萩藩:外様 36.9万石 Wikipedia

居城:山口県萩市 萩城 Wikipedia

城郭構造:梯郭式平城+山城(指月山)

開戦時藩主:毛利敬親(たかちか当時48歳)

毛利家の領地支配開始期:毛利家は関ヶ原の戦い(慶長5年、1600年)で西軍の総大将として担ぎ出されたため減封処分となり、周防・長門2国のみ与えられることとなった。(秀吉時代は、安芸・周防・長門・備中半国・備後・伯耆半国・出雲・石見・隠岐の120万5000石だった)

幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる。

支藩は長門国に長府藩、清末藩、周防国に徳山藩、岩国藩(あいまいな扱いの特殊な支藩)。合わせて長州藩と呼ぶ。

戊辰戦争への対応:萩藩(長州藩)は薩摩藩とともに倒幕、戊辰戦争、明治維新の2大勢力だった。戊辰軍功賞典禄10万石。

萩藩訪問記

2012年7月23日

中国地方4泊旅行ツアーで萩菊の浜の温泉旅館泊。

翌朝ジョギングで萩城跡から標高143mの指月山詰丸跡まで登ってきた。

史跡萩城址 後ろに指月山
史跡萩城址 後ろに指月山

 

●フォトギャラリー 2012.07.23 ※クリックで拡大

 

●フォトギャラリー 2012.07.22 ※クリックで拡大

萩城下町と松下村塾、松陰神社へ。

 

●萩城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可いただいてます)

 

●萩城五層楼写真 山口県文書館HPより

萩城周辺の地形を調べてみる

萩城は指月山の麓に位置する。地形的には自然堤防、あるいは砂州・砂堆か。

萩市街は阿武川(あぶがわ)から分岐する橋本川と松本川(阿武川本川)によって形成された三角州地帯。川沿いには自然堤防が発達し、海岸沿いは砂丘となっている。山陰本線が三角州を迂回するように通っているのは、建設当時かなりの湿地帯だったからか。

お城地形はちょっと考えたけど「山地・丘陵地裾地」に区分することに。

萩の歴史、地理、街並みはこちらのHPがかなり詳しい →まちあるきの考古学

 

●国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 地形図+色別標高図

 

●J-Shis Map 微地形区分