出雲国 松江藩

戊辰戦争時の松江藩について

松江藩:家門 18.6万石 Wikipedia

居城:島根県松江市 松江城 Wikipedia

城郭構造:輪郭連郭複合式平山城

開戦時藩主:松平定安(さだやす 当時32歳)

藩主家の変遷: 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏は周防・長門2国に減封となり、吉川広家も岩国に移された。これにより遠江国浜松で12万石を領していた堀尾忠氏が、父・堀尾吉晴とともに、あらためて出雲・隠岐2国24万石で入部、ここに出雲富田藩(いずもとだはん)が立藩した。 忠氏は慶長9年(1604年)に27歳で早世、後を継いだ忠晴はまだ5歳の幼児だったことから、祖父・吉晴がその後見として事実上の藩主に返り咲いた。吉晴は月山富田城が山城で不便を感じたため松江城を築城するとともにその城下町の建設を行った。慶長16年(1611年)に吉晴は松江城に移り、ここに松江藩が成立した。

堀尾家→京極家→寛永15年(1638年)、結城秀康の三男・松平直政(越前松平家)が18万6,000石で信濃松本藩より転封。以後、出雲一国は越前松平家が幕末維新までこの地を治めた。

戊辰戦争への対応:幕末の松江藩は政治姿勢が曖昧で、大政奉還・王政復古後も幕府方・新政府方どっちつかずだったために、新政府の不信を買った。結局は新政府に恭順することとなり、慶応4年(1868年)に始まった戊辰戦争では京都の守備についた。

 

松江藩訪問記

2015年5月4日訪問

連休を利用して、岡山から鳥取、島根を旅行。帰りの時間が迫って、松江城は登って降りただけだった。次は100名城スタンプをもらいに行かなければ。。

 

●フォトギャラリー  ※クリックで拡大

 

●松江城縄張り図

余湖さんのホームページよりお城情報満載のHP。図の掲載許可取得)

松江城周辺の地形を調べてみる

お城地形区分は「丘陵地先端」

松江の歴史、地理、町並みについてはこちらのHPがかなり詳しい まちあるきの考古学

●国土調査 地形分類図

 

●地理院地図 色別標高図